私たちが目指す「住まいの佇まい」について。私たちが目指す「住まいの佇まい」について。
これから何十年と住まう家のこと。
私たちは、木や漆喰、紙など、日本で昔から使われてきた素材を使って、簡素で、洗練された美しさのある木の家をつくりたいと思っています。
「簡素」とは、飾り気がなく、無駄がないこと。流行に左右されることなく、現代日本の暮らしに寄り添い、いつまでも居心地よく暮らせる、普遍的な日本の家をつくりたいと思っています。
自宅兼事務所である我が家へ来ていただいた方から、「落ち着く、気持ちがいい、お寺みたい、潔い」といった言葉を頂くことがあります。
えん建築舎のつくる家は、基本的に、柱や梁などの構造材があらわし(見える状態)になっています。理由はいろいろありますが、佇まいの点から書くと、構造材を単に材料として用いるのではなく、意匠に活かしているということになります。
構造材は、すべて見えているので、良い材料を使い、バランス良く配置する必要があります。
それは、古来日本で受け継がれてきた造り方で、特別なことではないのですが、このような造り方を活かした家づくりが、「お寺のよう」「落ち着く」などと感じていただけることにつながっているのかなと思います。
木や漆喰などの素材は、経年とともに変化していきます。
我が家のウッドデッキは、だんだんグレーがかった色へと変わってきました。LDKの床は、子供たちが落としたカトラリーやオモチャなどによって小さな傷がたくさんあります。木製家具は、乾燥していたり、時々オイルを塗って艶のある美しさが復活したりという繰り返しです。
「いつまでもピカピカで新しいままがいい」と感じる方に、木の家は向いていないかもしれません。どんなに丁寧に暮らしていても、木の家は、必ず変化していくからです。
私たちは、住まいと関わり合いながら暮らす中で生じた変化に「ゆたかさ」を感じます。
太陽の光を浴びて色濃くなった無垢材や、少しずつ増えていった愛着のある物、暮らしていくうちに自然とついた傷や補修跡など。
流れた時間や、その時々の思い出が重なるからでしょうか。
私たちが木の家に暮らし始めてから5年が経ちました。
さまざまな感情が生まれる家族の日々を、大らかに包み込んでくれるような、あたたかい存在感を感じながら暮らしています。
これまで、家具の配置を変えたり、棚をつけたり、自作の家具を追加したりと、家族の成長とともに少しずつ変化してきました。
庭も少しずつ変わっています。小さなハーブコーナーを作ったり、ブルーベリーやレモンの木を植えたり、コンポストを始めたり、木々たちがひと回り大きくなりました。
建てたばかりの新しい家もきれいで良かったけれど、暮らしながら少しづつ変化してきた今の家の方がもっといい、そう感じます。
家と関わり合いながら暮らしていると、やりたいことが尽きません。
これから、自分たちの暮らしに合わせてどんなふうに変化していくのか、我が事ながら楽しみでもあります。
やがて自分たちが年老いた時、過ごした時の分だけ成熟した家で、今よりももっとしっくりと馴染む家であってほしいと願っています。
あたたかな存在感。
気負わず暮らせる大らかさ。
変化する楽しみを与えてくれる慎ましさ。
今も、この先も、いつまでも居心地よく暮らせる普遍的な美しさ。
それが、私たちが目指す、住まいの佇まいです。
そして、ゆたかさ。
私たちが感じる「ゆたかさ」の正体は、「時」なのではないかと感じています。
無数の傷たち、成長した庭木、愛着のある家具や道具、思い出の品など、形あるものに刻まれた「時」。
それが、目には見えない「ゆたかさ」を生み出し、唯一無二の「我が家」をつくりあげていくのだと思うのです。